【 事例の研究 】 実際の街への応用例を示したり、社会実験の実施例等をフォローしていきます

茨城県常陸太田の中心街(鯨ヶ丘)の一方通行街路
茨城県常陸太田の中心街(鯨ヶ丘)の一方通行街路

082-3 中心街を一方通行化した町 2017/6/18

 

 春に訪れた(どちらも二度目)二つの町を紹介します。

 

 まず、ひとつは茨城県常陸太田市の旧市街で、城下の南北に伸びる「鯨ヶ丘」と呼ばれるなだらかな山の背にある商店街は、700mほどの長さの二本のメインストリートを一対の一方通行路にすることで、道路の拡張を伴わずに歩道の確保を実現し、横断の安全、あるいは買い物客や配送のクルマの駐車も容易で、静かで安全で心地好い空間が維持されています。

 

 こちらは、昭和37年に一方通行が導入されたそうですから、本格的なモータリゼーションの到来の際にも深刻なことにもならず、半世紀にわたって生活や商業と通過交通の容量とが両立されてきたようです。

 国道に指定されているのは北行きの路線だけなので、上下線が分かれた国道の前例を作るよりは、矛盾を抱えたままの方があるいは都合が良いのかもしれません。

 

 もう一つの町は、「うだつの町」として観光地にもなっている岐阜県の美濃町(美濃市)の中心街で、一番町、二番町という250間(450m)ほどの長さの平行の道路を一対の一方通行路として、観光と商業、生活の利便とを両立させるのに成功しています。

岐阜県美濃市中心街の一方通行街路
岐阜県美濃市中心街の一方通行街路

 

 土地の方に聞くと、導入は20年ほど前で、いちおう右側に駐車することは禁止されているそうですが、特別な混乱はないようです。

 

 常陸太田の場合は右回りの設定なので、周回するには北端で二度の右折が必要になりますが、南端の分かれ道で交錯することがないのが特長になり、美濃町の方は左回りに設定されているため、突き当りの一歩通行ではない道路を介して周回することも容易なのが特長といえますが、いずれも、対向車を気にすることなく歩行者だけに注意して走行すればよいので、歩行者の多い町には一方通行の導入は非常に有効であることが体感できます。

 

大分駅前改造の案(2014年)
大分駅前改造の案(2014年)

081-5 大分駅前ロータリー 2017/01/15

 

 3年前に大分駅前を訪れた際に、駅前ロータリーの改造の案を見かけましたが(写真上)、先日再び訪れると、駅舎とともに駅前のロータリーも改造されて、駅を座布団にでんと胡坐をかいたように横に広がっていたロータリーが、歩行者が歩きやすいように縦長に出来上がり、バス停も駅からまっすぐ桟橋状に二本伸びた形で、歩行者の動線をよく考えた構造になっていました。

 

 改築された駅もなかなか合理的な構造で、新大阪などでは不足しているトイレを十分に確保して結節点としての機能を満たし、お土産物店はメインの動線を遮らないように配置され、鹿児島中央駅や宮崎駅のように、お土産物を買い込む客が乗降者の妨げになるような愚を犯していないという点でも、まじめに設計されたことが理解されます。

完成した大分駅前ロータリー(2017年)
完成した大分駅前ロータリー(2017年)
安全で快適な電停の例
安全で快適な電停の例

059-5 JR野洲駅南口ロータリー 2013/1/14

 

 本書では、市街の公共交通の設計では、表定速度を高く保つ工夫に次いで、電停やバス停の安全と快適さを保つことを挙げていて、雨を防ぐための屋根の設計を重視し、大屋根の設置のほか、他愛のないアイデアであるため本書では割愛したものの、右図のキリンのような形の断面を持つ屋根で乗り降りの際に雨に濡れるのを防ぐ電停のイメージなども、6章に載せようと考えていました。

豊橋駅前電停
豊橋駅前電停

 実際には、最新のポストモダン風のかまぼこ屋根で統一された豊橋駅前の電停を見ても、乗り降りの際には雨にさらされる構造(右写真)が今なお一般的ですが、それでも少しずつ状況は変わりつつあるのかもしれません。

 

5-1-1結節点としての駅
  駅は結節点である
 〝駅〟は、現代の都市においては重要な地位を占め、時には象徴的な意味が与えられ、活発な商業活動が行われるのが通例になっています。しかしながら、本来の駅は、交通の〝結節点〟、すなわち鉄道を中心に他の公共交通、タクシー、自家用車、自転車、徒歩などとの乗り継ぎ地点としての機能が第一義で、必要な機能を阻害するような設計は避けなければなりません。
  ・・・

 明治初期の地方都市で、鉄道に対する忌避の基づく反対運動がルートを変更させたとする話の多くは俗説に過ぎないようで、実際には当時の技術水準に基づいて合理的に決められたようですが(青木栄一『鉄道忌避伝説の謎』)、主要な鉄道駅はかつての市街地の外れに建設されることが多く、これは日本の地方都市に限らず、欧州の諸都市でも、東京や大阪、京都のような大都市でも同様で、東京駅だけが特殊な発想のもとに造られたターミナルであると言えます。
 また、池袋駅も、新宿駅にしても場末にできた駅であり、後に私鉄各社がターミナルを作りますが、私鉄の場合は、鉄道の事業と郊外住宅地の開発とターミナル駅のデパートがワンセットになっていて、これらは鉄道がもたらす外部経済分をなるべく自社のグループで取り込もうとする考え方であったと言え、そのため、かつて私鉄各社が鉄道事業の赤字を理由に、国に補助金を要求した際に、関連事業で十分に利益を上げていることを理由に、国がこれを拒否したことがありました。けれども、これは、東京などの大都市が順調に成長し、領域が拡大し続ける条件の下に、東京という政治権力に依存し、寄生することで成り立つ考えで、都市の成長の圧力が弱い地方都市では条件は全く異なるため、東京の巨大なターミナルや、私鉄や地下鉄のあり方の表面的な要素に惑わされることなく、結節点としての本来の機能を中心に駅のあり方を考え直していく必要があります。(本書 p252)

 

 実際の設計に当たっては、駅があくまでも交通の結節点であることに留意することが肝要で、それだけでコンセプトは明快なものになっていきます。
 たとえば、058-5の沼津の例でも示したように(本書 p258)、駅の近くを通りぬける車両を極力排除するためにクルドサックを採用したり、駅前にロータリーをつくる場合にも縦長の構造にすることで、歩行者がむやみに迂回することなしに分散していくことが可能になり、その際に雨の日にもなるべく濡れずに遠くまで分散していくことができる仕掛けがあれば、混乱の少ない快適なものになるはずです。

野洲駅南口改良計画の広告板より
野洲駅南口改良計画の広告板より

 そんな中で、たまたま訪れたJR野洲駅南口ロータリーでは、自著以外には見たことのないタイプの縦長ロータリーの構造への改良事業が始まっていて、計画によると(右写真)、ありがちな右回りのカーブ上ではなく直線状にバス停が並べられ、駅からバス停までは屋根が連続しているほか、バス停にも身障者用の乗降場にも丁寧に二重にひさしがしつらえられて、利用者が濡れない工夫が施してありますから、結節点としての機能を重視して設計がなされていることが分かります。

 

 従来型のロータリーは、末端でダンゴ鼻にように横に膨らみ、駅を尻に敷いてデンとアグラをかいたような形が一般的で、これはおそらくはホテルや洋館の車寄せのように自家用車やタクシーが駅の真ん前に横付けできるイメージが元にあると考えられますが、利用者が少ないうちは優雅なものでも、歩行者が増えるとダンゴ鼻に邪魔をされて遠回りを強いられるという不合理が顕在化してくることになります。

 野洲駅南口の場合は、既存のロータリーの対面のアクセスが悪かった建物が二軒ほど除却されて拡充されたもののようですから、状況としては少し複雑ですが、それでも横に広がらずに珍しい形ながら縦に伸ばしたことは注目に値すると考えています。欲を言えば、車道としては利用価値がなく、バスへと急ぐ乗客が車道を短絡しがちな西隅のスペースを歩道に充てるか、バス停の位置を全体に西北寄りにシフトしたいところですが、ともあれ駅からバス停に急ぐ乗客が運転士さんとアイコンタクトできるという意味でも好ましい構成であると思います。

 

 野洲駅は京都駅から新快速で30分足らず、滋賀県内の沿線には大手企業の事業所も多く、都市化が進んで利用客も増えている地域でしょうから、駅前の構造を見直すのにはちょうど良い時期だと考えられます。拙著が上梓された直後にこの町の図書館に蔵書されたことを知り、少し注目していた経緯もありますから、もし市の関係者が拙著に触れることで、こうした施策の設計に役立つことができたとすれば望外の喜びであると同時に、建築や土木の意匠には知的財産権の考え方はないに等しい、いわばパクり放題の世界であるそうですから、こうした設計例が成功をおさめ、他の自治体や学会に模倣されることで、全国に広まって行くことになれば、それが最も望ましい流れであると考えています。

JR野洲駅南口ロータリー(2017年)
JR野洲駅南口ロータリー(2017年)

追記 2017/01/05

 

 野洲駅南口のロータリーが完成していました。

 他愛のないことではあるけれど、歩行者の流れを阻害しないように縦長の配置にして、その長手部分をバス停にすると同時に、バス停まで雨に濡れずに行けるようなテント地の庇が続き、バスに乗る際にも濡れないように一段高い庇が付加されているなど、きめの細かな設計がなされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

077-3 川越の一方通行化 ~成功する社会実験を目指して~ 2015/09/23

川越の地域商店街クレアモール(上)、連雀町(中)と観光客を集める一番街(下)
川越の地域商店街クレアモール(上)、連雀町(中)と観光客を集める一番街(下)

 2008年に本書が上梓され、ほどなく鳥取県のまちづくりの参考図書のひとつに採用していただいたことがあり、その後、鳥取市により、旧市街の主要街路の一方通行化という社会実験が計画されるなど、認識の広がりを感じることができたことがありました。

 ところが、いざ実施間近になると、県警本部から「一方通行が増えると細街路への流入が増えて危険」という懸念が表明され、こうした交通安全の専門家たる警察に技術的な問題点を指摘された場合、一般の公務員である市役所の担当者などは委縮して唯々諾々と従うよりほかはないように思われましたが、この時は市役所の担当者もなかなか譲らず、論理立てて反駁したため、上からの命令を与えるだけだった県警の方が面食らったような形になりました。

 その後、少し妥協し歩み寄った形で実施されたものの、その後のアンケートでも「ともかく一方通行だけは止めろ!」と云った有無を言わせない匿名の意見が続いたため、この手の施策を進める上での難しさを痛感させられました。

 

 ただ、こうした反応は無理もないもので、先日もあるニュースに関連して、「クルマは専用駐車場よりも車道と歩道との間に停める方が、歩行者との交錯がなく、効率的で安全」という話をしてみたところ、すぐに呑み込めない人々から「なに言ってんだ!マジかこいつ」というような感情的な意見が集中し、ひとりオーストラリア在住の女性が「確かに言われてみれば安全ですね」と理解を示したのとは対照的なもので、見慣れない技術に対して即座に理解して賛意を示すと言うのは、こと大人の日本人にとっては難しいことであるようです。

 

 川越に関しては、首都圏でも最大級の観光客を受け入れる町として、また自身の一方通行化のモデル的な街として注目したこともあり(「南アルプス市と富士川町への提言」、「『だんご3兄弟』速水さん事故=78歳女性はね死亡-埼玉県警」)、実際に一度社会実験が行われたようです。

 最近では電柱の地中化を進めて成功した町として紹介されていて、その写真を見ると、電柱の地中化により却って歩道と車道とのバランスの悪さが目立つようになりましたから、この機会に川越の町を実地に踏査してみると、駅から延びるクレアモール(写真上)や連雀町(写真中)などの地域商店街も電柱がなくなり、非常に歩きやすいことがわかります。

一番街の一方通行化反対の看板
一番街の一方通行化反対の看板

 観光地の中心である一番街(写真下)の場合は、街灯のための鉄柱は見られず、1.5mほどの背の低い街灯が道路脇に設置され、変圧器もどこかの屋内に引き受けてもらっているようですから、初期に地中化された街に比べるとずいぶん技術が進んだことがわかります。

 もっとも、歩きやすい一番の理由が電柱や電線なのかというと少し異なり、一方通行化されているため、実質は歩行者天国のような状態になっている他の通りに比べると、常に車で渋滞する車道に、歩道から人があふれ出ているいる一番街の光景を目の当たりにすると、ここを一方通行化することの効果は大きいと考えられます。

 もちろん、どのような改革も、跳ね返りやディメリットを被る人が全くいないというわけには行かず、実際に、一方通行化に対する抵抗運動は大きく、これは、決して信号業者と癒着した警察分子の息のかかった勢力などによるものではなく、沿線の商店主などを中心とした人々によるものですから、普段の生活や業務に使用する道路が恒久的に一方通行になった場合のマイナス面もきちんと認識した上で総合的に判断する必要があります。

本書p78
本書p78

 そうして、先日の安保法案の採決に当たり俄かに反対運動が盛り上がったのと同じように、社会実験の結果一方通行化が定着する可能性があるとすれば、いきおい短期間に集中して反対運動を展開することになりますから、そうしたエネルギーを、もう少し落ち着いて評価する方向に向けられる形での社会実験ができれば、より広く受け入れられる結果を導き出すことが可能になると考えています。

 具体的には、たとえば、将来的に理想と考えられる姿をきちんと設定し、期間も一か月程度ではなく一年程度の長さ、いわば恒久的に一方通行化した状態を設定しつつ、一年経過すれば必ず元に戻すという条件で、メリットもディメリットも洗い出すような期間が適当であると考えられます。 

成田山参道
成田山参道

 川越で言えば、県道160号の跨線橋の建設によって完全な環状のバイパスがじきに完成しますから、旧市街の大方のメインの通りは一方通行化が可能で、バス停もそれに合わせた位置に移動させるとともに、信号をすべて一時停止に切り替えて、交差点の近傍には路上駐車も停車もできないように歩道の幅を増やすとともに、固定式のポールなどで物理的に規制する策を組み合わせることが有効で、自著で示した例で言えば、右上図の③の形が理想で、バス通りを優先道路に設定すれば、公共交通の遅れが発生しにくく、実際には信号さえなくなれば、通過容量は従来の道路体系よりもはるかに増加し、多少の遠回りを強いられたとしても、はるかに短い時間で目的地に達することができることが体感できることになります。

 

 後は、一年の社会実験の後に、今度は対面通行化の社会実験を一年続ける形になり、要はいつでも戻せる条件下で、どちらが暮らしやすく安全なものかをじっくり経験すればよいということになります。

 

038-3 南アルプス市と富士川町への提言  2011/11/23

 

・見慣れぬ技術
 少し個人的な思い出を述べてみます。
 小学校の二、三年生の頃ですが、近所に、国道になっている古い街道と細いながらも交通量の多い道路とが交差する十字路があり、当時は一時停止で国道が直前でカーブして見通しが悪いために事故が多く、事故現場を見に行くたびに、大人たちの「信号がないからいけない」「いや狭くて信号は設置できないんだ」という会話を耳にしました。一度だけ誰にともなく「停止線をうんと引っ込めれば信号が設置できるんじゃないの?」と言ったところ、大人たちの顔がサッと曇り、苦々しい表情を浮かべたままみんな黙りこくってしまったのが印象に残っていますが、実はそれから数年して下がった位置に停止線を引いて信号が設置され、以来事故はほとんどなくなりました。

上、中:旧街道、下:電車軌道跡
上、中:旧街道、下:電車軌道跡

 大学生の頃に、それまで特別な存在であった自動車電話の加入料が引き下げられると同時に、電池ごと自動車から取り外して使用できるようになる、という記事を新聞で読んで、自身はこれを画期的なことだと思って学校で友人たちに話してみたところ、ほぼ全員が「何がいいのか分からない」という冷たい反応で、今ではこの自動車電話が取り外し可能になった瞬間が携帯電話の起源とされていますが、そこそこ優秀な学生が集まってはいるものの、見慣れぬ技術に対してすぐさま価値を見出すことは難しいものであることが分かります。

 

 反対の例としては、当時の東京でも東急の駅に限って行き渡っていた自動改札を見て、プリペイドカードで入るときと出るときに記録されて自動的に引かれるシステムの着想(つまり後のオレンジカードやスイカ)を披露してみた際には、やはりみんなピンと来ない中で、今では親の後を継いで上場企業の社長におさまっている友人がひとりだけすぐさま価値を認めて感心してくれたことがあり、そんなこともあって、一種の育ちの良さやそれに似た率直な受容に比して、経験や学識が邪魔をする可能性を意識することになりました。

  

 街路を全面的に一方通行化すること(拙著p67)、街道沿いの村での街路を整備する際には裏通りを作る(p410)、あるいは上下線をペアで揃えて建設するという「見慣れない技術」に関しては、自著で触れたアレグザンダーがスイスのベルンの例に関してわずかに触れている程度で(p76)、少なくとも日本ではほとんど研究されてはいません。ネットで検索してみても、わずかにこちらのブログ(http://hint-eng.jp/jdy07317/2074.html)で触れられているに過ぎず、今の段階では、このブログの方のように、社会に対する温かい眼差しとともに、卓越したセンスの良さがあって初めて着想が可能な「技術」のようです。

身延道の一方通行化案
身延道の一方通行化案

 ひとつの説明としては、一車線ずつの対面通行の街路であっても、中央分離帯が広く取ってあれば、右折車と対向車との関係は別の信号で制御することが可能になって安全で、さらには直進を優先にしつつ、横断しやすいような工夫を加えれば信号すらも不要になりますから、あとは中央分離帯の幅を50m以上に拡大してその中を住宅地にしてしまえば、上下線をペアにしたのと同じことになります。

  

・実際の街路への応用
 この見慣れぬ技術に関して、自著ではさいたま市の与野という町をモデルに実際の町への応用の例を考えていますが(p150)、与野のように古い街道に沿って街が連なり、かつ裏通りに相当する道路がすでに整備されている町に関しては整備は容易で、地図の上からだけでも一方通行化を考える作業は楽しいものになるはずです。

 

 今回、モデルとして考えてみるのは、南アルプス市から富士川町にかけての国道52号線旧道の身延街道(鰍沢道、富士川街道とも)で、ここは何度か通過したことはありましたが、街道沿いに10kmほどにわたって市街地が連亘する地域で、それゆえ中心地としての小笠原(武田氏庶流小笠原氏の本貫地)や鰍沢などへの集中はあまり高くはありませんが、暮らしと産業とを両立する上ではなかなか魅力的な土地柄でもあります。

 ここは、地図上から眺めて、街道と同じ程度の幅の裏通りが続いていることに目を付けてみたところ、これはかつて甲府から甲斐青柳までの電車が通っていた軌道であることが分かり、旧街道とペアで一方通行化するのに適した道路かどうかを確認すべく実地に踏査してみました。

 

 結果から言えば、電車軌道跡の道路は幅員が8~12mほどで歩道のないところもあり、大型車も多く通過交通が非常に多い道路でしたから、右図のように一方通行化は容易かつ有効です(図では、赤色が対面通行の国道、橙色が対面通行の主要な地方道、青色が北行き、緑色が南行きの一方通行路)。
 正式には長沢公民館北から在家塚までで北行きと南行きとを分離し、実質的には青柳5丁目で「韮崎方面左折」として北行き方面に流すことが可能です。 

 

 現行の信号のある交差点は、すべてこの一方通行路を優先とする点滅信号に変更することが有効で、交差点の処理は右図のように当座はペイントだけで規制しても十分に安全を保つ効果があると考えられ、それでも信号待ちはなくなりますから、仮に制限時速40kmでも通過速度は十分に速いものになります。

 個人的には、北行きを「韮崎街道」とでも名付けて、南行きの身延道と区別しやすいようにすれば、地元の人への定着も進みやすいと考えています。

 

 問題として考えられるのは、上下線を折り返す際に間の住宅地の路地に流入する車が増えることで、これは鳥取で一方通行化の社会実験が行われる際に県警本部が一番懸念したことでした。

当座の交差点処理方法
当座の交差点処理方法

 これに対しては、まず現実には一方通行化によって通過速度は上昇するために、幹線道路を使って折り返すクルマがほとんどであると考えられることと、住宅地を抜けるクルマの流入を防止するのは別の独立した課題でもあり、そのための規制は難しくはないことです(拙著p92)。

 もうひとつ懸念されることとしては、高規格のはずのバイパスの方は信号が多く、幅員が広いために信号の間隔が長く設定されているために、実質の通過速度は低くなってしまうのに対して、旧道の通過速度が却って速くなってしまって流入が増えることが考えられ、その場合はさらに制限速度を抑える工夫が必要になります。

 さらに、東西方向に抜ける街路も、市街地付近ではペアにして一方通行化したいところですが、その点は一度南北の流れの良さに慣れてからじっくり考える課題になると思われます。

 

075-3 甲府市と甲斐市への提言 2015/05/24

 

 南アルプス市の身延街道の一方通行化の提言の延長になりますが、同じ山梨交通廃軌道と県道5号とを組み合わせた一方通行化の提言になります。

下:県道5号線西八幡付近、上:山交廃軌道徳行付近
下:県道5号線西八幡付近、上:山交廃軌道徳行付近

 この道路は、かつては幹線道路であったため、沿線の改良を行おうとすると拡幅以外の発想が得られなかったものと思われますが、すでに「アルプス通り」という名の高規格のバイパスが完成していますから、旧道を一方通行に改変することは非常に容易で、当面はペイントなどで歩道と自転車レーンを示したり、一部の信号機を点滅に変える程度の変更から始めて、徐々に土木的な改変を進めていくことが可能になります。

 

 実地に観察すると一目瞭然で(右写真)、旧道の方は高度成長期のままの自動車と街との関係が今も続き、それでも高度成長期には多かった歩行者がほとんどなくなり、バイパスができたおかげで大型車の通行が減ったことが違いになりますが、バイパスの方は片側2車線のため信号の効率が悪く、平均速度が遅くなるのに対して、旧道の方が信号が少ないことから、急ぐ人ほど使いたがるということが、歩行者を危険にさらす一つの原因にもなっていると懸念されます。

幅員7.5mを配分する例
幅員7.5mを配分する例

 県道の旧道と廃軌道の幅員はいずれも8m前後ですから、図のような配分で自転車レーンを確保すれば、朝夕の高校生の通学の安全を保つことにも貢献できます。
 国道や県道と交差する箇所は今の信号機を残し、それ以外はこの道路を優先とする点滅信号に変更すれば、流れもよくなるため、現行の交通量を賄うことは十分に可能です。
 問題が残るとすれば、甲府方面で国道52号の旧道と合流する貢川交差点の効率が悪いため、ここを起点とした渋滞が伸びることですが、それは現状でも同じ状況で、時間がかかることを気にする人ははじめからバイパスの方を利用すればよいのですから、問題にする必要はありません。

 

045-3 飯田市への提言  2012/2/19

 

 最近、飯田の旧市街東和町の交差点で、ロータリーを新設して信号を廃止する試みがあるという記事を読みました(ライブカメラ)。

 

 社会実験によって安全である知見が得られたとされ、この施策を推奨した交通工学者は画期的な試みとしてはいるものの、実はロータリー先進国のイギリスでも並行する自転車レーンの安全が保たれないことが問題化され、その危険性は今回の警察庁の方針の変更に伴い増大する可能性もあります。

飯田市吾妻町ロータリー
飯田市吾妻町ロータリー

 実はそうした事情を予測した上での設計解を考えたことが、拙著での「歩道を立体交差化したロータリー交差点」(本書 p245)(本サイト内:006-4 歩道を立体交差化したロータリー交差点【中身チラ見せ1】)や、交差点に限り自転車と歩行者とを混在させるという「発明」(本書 p127) の着想につながりました。

 

 飯田には、拙著の脱稿後に初めて訪れて、全面的な一方通行システムの適用に適した町であることを確認すると同時に、最後の追加項目の着想を得た町でもありました。

 昨年の春にはクルマで再訪することができ、東和町の近くの有名な吾妻町のロータリーも取材した経緯があります(右写真)。

 

 その追加項目とは、市街地の全面的な一方通行化に伴う一時停止の規制の方法で(拙著p69)、

 

①.幹線街路間に序列をつけて、優先道路を決める
 例えば、主要な街道を一対の優先道路に設定し、これと交差する道路を全て一時停止にするなど、さらに序列をつけていく方法で、優先道路ほど交通容量は大きくなります。
②.交互に一時停止になるように設定する
 200mの格子状の街路ならば400mごとに一時停止に当たり、それぞれの街路の一時停止の頻度や交通容量は同等になります。

飯田市旧市街の交通規制の案
飯田市旧市街の交通規制の案

③.どちらも一時停止にして、先に交差点に到達した順に進むような交差点にする。
 これは、アメリカに多い4ウェイ・ストップと呼ばれる交差点を参考にし、一方通行どうしならば、先に交差点に入った順に、交互に譲り合って発進することになりますが、交通容量は少し小さくなります。

 アメリカの4ウェイ・ストップでも互いのアイコンタクトで事故を防止していると言われるので、それに似た譲り合う流れが生まれると考えられます。

 

という3項目に加えて、

 

④.坂の多い町などでは、勾配の急な上り坂を優先に設定することで、町全体での燃費を向上させることも可能です。

 

というのが飯田の町を訪れて追加した項目でした。

 

 飯田の旧市街は、二つの川に深く切り取られた段丘の突端に築かれた天然の要害とも言うべき城の上方の台地に形成された城下町が中心で、東南に向かって緩やかに傾斜した明るく気持ちの良い町並みが広がります。

飯田の裏界線
飯田の裏界線

 戦後の昭和二十二年に旧市街の大半を焼失する大火に見舞われましたが、その際に復興の青写真を描いたのが本書にもたびたび登場する若き日の内務省技官山田正男氏で、町家風の整然とした屋敷割りを保ちながらも、背割り溝に当たる場所には「裏界線」と呼ばれる避難用の路地が築かれ(右写真)、表通りの幅はどこもゆったりと取られ、さらに火除地に当たる広い通りが市街地を四分割するように交差し、ちょうど東京の昭和通りと大正通り(靖国通り)のような復興のシンボル的街路になっています。

 

 つまり、この町でなだらかな坂道が交差する格子状の通りを眺めて、クルマの燃費や自転車の高校生を考えると、上り方面はなるべく停車せずに済み、反対に下り方面は速度が出すぎないようにこまめに停車させる組み合わせが有効であると考えたのが、④の項目でした。

(2012/2/25 交通規制案の図を追加)

 

追記 2013/7/20


・ロータリー交差点とは

 ロータリーは、日本でも戦前には研究されたものの ⑴ 、戦後はなぜか見向きもされなくなったようで、代わって信号による制御が標準になりましたが、海外の先進国では広く見られ、特にイギリスでは「ラウンドアバウト」と呼ばれて多くの交差点に採用されています。

 ⑴:山田正男「最近に於ける街路交通処理の理論と実際 ~F.Melcherの定常交通方式をみて東京における道路交通体制を考える」昭和一三年(『時の流れ都市の流れ』鹿島研究所出版会)(本書 p86)

 

 現代の交通工学者が画期的な試みと絶賛する飯田のラウンドアバウトに関しては、元になる吾妻町のロータリー自体が、昭和22年の大火の復興のシンボルとして築かれたことが判り、計画を担当した内務省山田技官が戦前から温めていた研究をこの機を生かして実現にこぎつけながらも、その後65年あまりが経過して、初めて交通工学者によって認められるようになったという奇妙な経緯を辿っています。
 山田氏の著作集を読むと、戦前はロータリー型の交差点と大きな環状バイパスの研究にとりわけ熱心で、戦後は都市工学の重鎮として、首都整備局長時代には「山田天皇」と呼ばれるほど力を持った存在であったそうですから(本書p34)、若い頃の思いを実現することは比較的容易であったはずですが、これでは力を持つのと同時に自身の強い思いを捨てて変節していった結果が、65年の空白であるとも言えることになります。

 

幹線道路が交差する町の環状道路整備(本書 p230)
幹線道路が交差する町の環状道路整備(本書 p230)

054-4 郡上八幡紀行 2012/8/4

 

 先日、郡上踊りの直前の郡上八幡の町を訪れることができましたが、初めて訪れてみると、平素の生活の質も向上させるインフラとしての「環状バイパス」が整備された町であることが体感でき、多くの町にとって参考にできる例として注目してみました。

 

 本書では、すべての都市にとって環状バイパスの整備が重要であるとしていますが(4-4-1環状バイパスをつくる:p226)、同時に小さな町の場合は、右図のように国道や県道のバイパス整備事業を利用して、自治体の持ち出しが少ない形で完全な環状バイパスを構築できる、という手法を考えて紹介してみています(本書 p229「国道や県道の改良事業を利用した環状線の構築」)

 

 郡上八幡は、山間の狭い平地にできた繁華で瀟洒な町であるため、山の際まで市街地が迫っていて市街地がスプロールする余地がなく、その意味では非常に制約された条件下でのまちづくりとしては、時代や技術的な条件から、ある程度は合理的な方向に向かわざるを得なかったのかもしれません。

郡上八幡の市街地と環状バイパス
郡上八幡の市街地と環状バイパス

 市街地は、城下町の旧市街である「本町」周辺と、銀行や郵便局が並ぶ街道に沿った比較的新しい商人町と思われる「新町」、それとかつては別の村であったと思われる住宅地が中心の「小野」との、おおむね3つに分かれますが、長良川沿いの郡上街道(国道156号)ははじめから市街地の西を通り抜けていて(右図)、かつて新町を抜けていた飛騨金山へ向かう往還(国道256号)と、市内明宝温泉を経て飛騨高山へ向かう(予定の)往還(国道472号)とを、市街地南縁のトンネルを含むバイパスとして建設したようで、さらには市内河鹿へ向かう往還(県道319号)も、本町を抜けるルートを県道として残しながら、主流は郡上八幡トンネルを介して国道に短絡し、最後に残った部分を地方道としてこちらも城山トンネルを介して整備したことで、本町と新町という中心的な市街地は完全な環状バイパスに囲まれることになったようです。 

 

 これらの環状バイパスは、郡上踊りなどの大規模なイベントの際には、当然、周辺の通過交通を捌くのに役立つでしょうし、市役所や警察署などの官公庁の多くが「便利な」バイパスの外側に配置され、バス路線もバイパス側にシフトしているようで、結果的に町なかに流入する車両は非常に少なく、市街地内の道路は車道と歩道との区別もないものの、自動車をあまり気にせず歩くことができ、信号機も見当たらないため、夏の暑い日差しの下でも信号待ちの不快を味わうこともなく、快適に街歩きを楽しむことができました。

吉田川の清流と新橋
吉田川の清流と新橋

 駅で地元の方に聞いたところ、旧市街には信号がないのがこの町の特長であり、一度信号を設置した時代があるものの、不評であったことから廃止されたそうで、ときどき勝手を知らないよそからのドライバーの運転に顔をしかめることはあっても、市内の街路では大きな事故が少ないそうですし、何よりも夏休みの子供たちが町の中でのびのびと遊んでいられる姿が印象的でした。

 

 もっとも、この地域はどこも山間部であるため、平野部のバイパス沿いに多いショッピングセンターが作られる要素が少ないことが、バイパスの建設により商圏の移動を促進しなかったことも、町づくりにとっては重要な要素であったのかもしれません。

 ただ、オランダのような平地だらけの国でも、バイパス沿いのショッピングセンター建設を抑制することは可能で、日本でも大店法が改定された20年ほど前まではある程度は抑制できていたわけですから、うまく条例をつくるか、郊外店が作れないような道路構造にするだけで、これからの平野部の町でも実現は十分に可能であると考えられます。

 

058-5 沼津駅高架化計画 2012/12/13

 

 これは、あまりりにもひどい計画であったので、本書の中で実名で論じてみたのですが、幸か不幸かその後五年が経過しても、あまり進捗はないようです。

 

 (鉄道駅をつくる「③.自家用車」p259)

 地方都市の場合は、自家用車でのアクセスは重要になりますが、駅に用のないクルマまでが駅の近くを通ることは極力避ける工夫が必要で、幹線道路がわざわざ駅の近くを通り抜けることなどは避けた方が良いでしょう。
 できれば、駅を端部としたクルドサックが望ましい形状で、具体的には、図5・2の程度の規制をすれば、歩行者の流れとの干渉は減らすことができます。送り迎えの場合には同じ道を帰ってくるので不便になることは少ないでしょうし、必要なクルマ以外が入り込まない道路であることは、いざ必要があるときには便利なものになります。
 雨の日などに、駅に家族を迎えに来るクルマが駅前で長い時間待つことはありうるので、そうした車両が公共交通の運行の邪魔にならないように、できれば、人の流れが速やかに分散するように、駅から百メートルほど離れた場所までは雨に濡れずに歩けるような工夫が望ましいと考えます。

沼津駅前に掲げられていた広告(本書写真5・2)
沼津駅前に掲げられていた広告(本書写真5・2)

 静岡県の沼津駅では、駅や線路を高架化することで、これまで分断されていた駅の南北の行き来がしやすいものにするという計画が進んでいるそうですが、この場合も歩行者や自転車と、クルマとを一緒くたに考えるから高架化という発想になると考えられ、歩行者や自転車だけならば2・5mの高さの通路をマメに設置する方が安上りで使いやすいものになります。クルマでの南北の行き来は、駅に近づくことなく迂回するルートを設けることが適当で、仮に、これまで駅裏であった地域に業務地区などを建設するとしても、そのためのアクセス道路はクルドサック状にして、駅への集中がないように工夫する必要があります。

 駅前に掲げられていた沼津市推進課作成のイメージ図では(写真5・2)、駅のすぐ西側を南北に貫通する道路が高規格化されて、駅前の地域を東西に分断することになりそうで、さらに、その大きな道路を越えるための歩道橋が描かれていますから、悪い冗談のような話です。

 実際には、国が「連続立体交差事業」を「周辺地域活性化の起爆剤」として位置づけて支援することになっていますから、その条件を満たそうとした結果なのかもしれませんが、沼津駅の南側は、最近の地方都市には珍しいほど市内の商店街が頑張っている地域なので、安直に国の提案に乗る前に、もう少し工夫が必要であると考えられます。

 

ポストモダン特有の前立の乗った沼津市立図書館
ポストモダン特有の前立の乗った沼津市立図書館

036-3 松山の社会実験  2011/11/6

 

・失敗する実験
 技術の世界では「実験」は付き物ですが、高度で複雑な技術になるほど「シミュレーション」を中心とする事前の解析や計算が重要になり、さらには同じ実験やシミュレーションにしても、条件の設定によっては全く異なる結果が出ることも周知されていますから、実験の前までにしっかり調査と解析を行い、実験の条件に関するレヴューを行った上で、これ以上は何が起こるのか予測が不可能なところで実験を行い、小さな失敗を十分に解析して修正設計を行うという流れが割合一般的なようで、日本の多くのメーカーが、異常なほどのスピードで新規製品を開発して、大きなトラブルを出さずに市場に投入し、世界の市場を席捲してきた背景には、そうした共通の文化があると考えられます。

 

 さて、まちづくりにおいて行政が街路の規制などの変更を試みる場合には「社会実験」が行われますが、こちらは一般の市民をモニターとした実験と、市民や商店を対象としたマーケティングという二つの要素が含まれることになります。
 商品のタイプにも依りますが、製品の開発や販売においては、あくまでも設計者や販売者がプロであり、消費者の言うことを聞くのではなく消費者の行動を観察し分析するという鉄則があり、「社会実験」においても本来はそうしたプロとしての冷徹な目での計画と準備が必要で、仮にその社会実験の評判が芳しいものでなかったとしても、問題の解決への方法論を持ったプロとしては別の結果を引き出すことも可能になります。

 

・合理的な方向性
 自動車や携帯電話などの多くの工業製品が、ある種の合理的な形状に収斂してきたのと同様に、国の政策も技術的に合理的な方向へ向かわざるを得ないと考えれば、低成長下の街路のあり方にもある程度の合理的な方向への収斂が予測されます。

 

①.将来的な街路のあり方として、拙著では一方通行路を基本とすることで、大がかりな市街地の更新を行わずに小さな費用で、自転車レーンを整備したり、信号待ちを減らしたりという形で暮らしやすい空間に変えていくことが可能であることを示していますが、少なくともクルマの通行量が現在のように多い間は、その形状が合理的なものであると考えられます。
②.すでに四車線以上の大通りが縦横に整備された町の場合はもう少しやり方があると考えられ、一般車両の車線数を減らしながら、公共交通専用レーンや自転車レーン、駐停車レーンなどに転換していくための具体的な手順を示しています。
③.専用自転車レーンを整備する際には、スペースに余裕がある場合は対面通行のレーンを道路の両側に設置することも可能ですが、既成市街地では自転車の一方通行化が必要になります。
④.自転車レーンの一方通行化が徹底される場合は、自転車の利用者が信号機に頼らずに安全に効率よく道路の対岸に渡ることが可能な道路構造が必要になり、そのためには一般車両のレーンは最大でも往復で2車線まで、加えて中央に安全島や同等のスペースが保たれて、安全を確保する必要が生じます。
⑤.自転車の一方通行化は、通行速度のアップも伴うため、その速度についていけない「老人の自転車」等は歩道の通行を許可する代わりに、あくまでも歩行者が優先で迷惑をかけないようにする義務を負わせることが有効です。

 

 本書では、①については p65、②については p75、p99、p134、③については p124、④については p128 ⑤については p127などで縷々述べていて、最も難しい交差点の処理については、むしろ自転車と歩行者とを混在させることで、交差点のスペースを有効に活用し、自動車、自転車、歩行者という三段階を、自動車、自転車+歩行者という二段階に分けることによって、優先関係をすっきりさせ、かつ自転車も交差点領域だけは一方通行に無関係に横断する方が、全体として安全と効率が保ちやすいという考え方を示しています(p127)。

 

・警察庁の通達
 こうした方向を合理的なものと看做した場合、かつては消極的であった警察の動向が気になります。
 夏頃に「自転車の一方通行レーン」とそのための標識を新設する発表がありましたが、先日は「自転車は車道通行」を基本に据える方針が報道されたため、自身も含めて世間はこの方針の意図を理解しかねて、2chなどのサイトでは多くの反論が集まっているようです。

 

 ただ、実際に警察庁が発表した通達を読むと、報道された内容とはニュアンスが異なり、むしろ「合理的な方向性」への準備の意志がはっきりと見られる、画期的なものであることが分かりました。

 

 その「警察庁交通局長の通達」から抜粋すると、

 

   今一度、自転車は「車両」であるということを、・・・
   そのためには、自転車道や普通自転車専用通行帯等の自転車の通行環境の整備を

   推進し、自転車本来の走行性能の発揮を求める自転車利用者には歩道以外の場所

   を通行するよう促すとともに、車道を通行することが危険な場合等当該利用者が

   歩道を通行することがやむを得ない場合には、歩行者優先というルールの遵守を

   徹底させることが必要である。

 

 これは、自転車レーン整備の必要性全般(拙著p118に対応)を説いていて、

 

   他方で、高齢者や児童、幼児を始めとしたそのような利用を期待できない者等

   には、引き続き、一定の場合に歩道の通行を認めることとなるが、その場合で

   あっても、自転車は「車両」である以上、歩行者優先というルールを遵守させ

   る必要性があることは論をまたない。

 

 これは、上記の⑤そのままになります。

 

   こうした考え方を踏まえ、良好な自転車交通秩序の実現を図っていくためには、

   自転車の通行環境の整備、自転車利用者に対するルールの周知・・・
   自転車専用の走行空間を整備するとともに、自転車と歩行者との分離を進めて

   いくことが不可欠
   ・・・
   各都道府県警察にあっては、道路ネットワークの連続性の確保に配意するとと

   もに、道路管理者、地方公共団体等と連携した上で、計画的に以下の事業を

   実施する

 

 これなどは、安全確保に関する最終的な責任者である警察が主体となることで、土木の分野に対して設計の変更を求めていく意志を表していますから、なかなか頼もしい流れであると言えます。

 

   道路管理者等と適切な連携を図り、自転車道の整備を一層推進すること。特に、

   従来は自転車道の整備が困難であった道路においても、平成23年9月に新設

   された規制標識「自転車一方通行」を用いて自転車道を整備することができる

   路線を精力的に抽出すること

 

 この辺は、夏頃に発表された一方通行施策とリンクしています。

 

   自転車の通行量が特に多い片側2車線以上の道路において、現在、自転車道等が

   整備されていない場合には、自動車等が通行する車線を減らすことによる自転車

   道等の整備を検討すること

 

 これは、②に対応しますが、これまでの通過交通一辺倒の考え方からは、大きく転換した新しい理念であると言えます。

 

   自転車の通行量が多い2車線道路に一方通行の交通規制(自転車を除く。)を

   実施することによる道路の両側に自転車道等の整備を検討すること

 

 ここは①に対応し、拙著の中でイチ押しとする「発明」になりますが、これまでは通行量の多い2車線街路を一方通行に変更することなどありえないと考えられていたはずで、実際に2009年に行われた鳥取の一方通行化社会実験の際には、県警本部が強硬に反対したために計画が縮小した経緯もありますから、こうした方針が示されたことは画期的な転換であると言えます。

 

   現在、パーキング・メーター等が設置されている道路において、パーキング

   メーター等の利用率が低い場合には、パーキング・メーター等を撤去することに

   より、自転車道等の整備を推進するパーキング・メーター等の利用率が高い

   場合には、第1車両通行帯を駐車枠と自転車道等とすること等を検討すること。

 

 ここもなかなか画期的な考え方で、上の写真の例のように、駐車帯がないことで自転車が危険にさらされる現実に対して、以前は街路の駐停車は排除する一方であったのが、むしろ通過車両の車線を割いても自転車の安全を確保する方向に転換しています。

 

 後半は、従来のように地域のボランティアや学校と協力して、啓発、教育を徹底していくという少し退屈な内容ですが、警察庁が大きく方向を転換したことは大いに頼もしいことであり、今後のまちづくりはもう少し大胆に「合理的な方向」を目指して進むことが可能になると予測されます。

 

・国土交通省の方針

 そうした中で、2012年の1月に松山市の県庁に近い街路で、「自転車の一方通行」の社会実験が行われると聞きました。
 警察庁の方針と国土交通省の方針とが内務省内でどう整合を取っているのかは判然としませんが、松山の中心街は、比較的広い2車線の街路が多く、全面的な一方通行化を考えるには打ってつけの町でもあり、まだ実施までは間がありますから、今後は自分なりのアイデアもまとめながら流れを見守りたいと考えています。

 

伊予 松山 一番町
伊予 松山 一番町